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宮崎地方裁判所日南支部 昭和38年(わ)26号 判決 1964年4月21日

被告人 大田原俊太郎

大一二・一・三生 司法書士事務員

主文

被告人は、無罪。

理由

本件公訴事実は、

「被告人は、金融業を営んでいたものであるが、予ねて建設業中村直に対し、屡々工事資金を融通し、その融資金額の残高は当時二十七万二千円であつたのに中村直の実弟、中村繁春に対する十万円の保証金額まで加算して四十一万五千円なりとし、同金員を右中村から取り立て様と企図し、之が貸借関係につき不正に公正証書を作成せんと思惟し、昭和三十五年十二月十九日頃、日南市油津岩崎通りの田中トキ方事務所において、行使の目的を以て、予ねて準備していた公正証書作成のための委任状の用紙一枚に、右中村直の名義を冒用し、山中巌を代理人とし、債権者、被告人、債務者中村直間の貸借金四十一万五千円の公正証書作成のための委任状一通を作成し中村直の名下に、同日、同人より他の用途にて預りたる同人の印鑑をほしいままに押捺し、以て右委任状一通の偽造を遂げた上、昭和三十六年二月八日之を宮崎市栄町五八番地、鈴木渉公証人役場において、右偽造の委任状一通を恰も真正に成立したものの如く装つて提出、行使し、因て同日、公証人鈴木渉をして、右委任状に基き、債権者、被告人、債務者中村直、金額・四十一万五千円、借用期日昭和三十五年十二月十九日、返済期日・昭和三十六年一月三十一日なる金銭消費貸借公正証書を作成せしめ、以て公正証書の原本にその旨の不実の記載をなさしめたものである。」と謂うに在る。

而して以上公訴事実の内、(イ)中村直に対する融資金額の残高が不実であるとの点並に (ロ)同人名義の委任状の作成が「偽造」であるとの点を除き、爾余の事実は、被告人もほぼ之を認めて居り又本件各証拠に徴しても大体之を認定することが出来る。

従つて本件の争点即ち本件の成否は右(イ)(ロ)の二点に要約される訳である。仍て先づ

(イ)  中村直に対する融資金額

につき審究するに、起訴状(訴因訂正変更請求書)記載の公訴事実中に謂うが如き、被告人の中村直に対する融資金の残額は当時二十七万二千円に過ぎなかつたとの事実は、之を確認するに足る証拠が無い。

却つて被告人の当公廷に於ける供述と之に照応する本件他の各証拠を綜合すれば、被告人は本件公正証書作成当時に於て中村直に対し少くとも四十一万五千円(公正証書記載の債権額)以上の貸金債権を有して居つた事実を推認するに十分である。(此の推定に抵触する証人中村直の証言は到底信用し難い。)次に

(ロ)  委任状の真偽

に付き考究するに、前記起訴状記載の公訴事実には、「被告人は昭和三十五年十二月十九日頃、日南市油津岩崎通り田中トキ方事務所に於て、行使の目的を以て、予て用意して居つた公正証書作成のための委任状用紙一枚に所要委任事項等を記入した上、委任者として中村直の氏名を冒署し、其の名下に、他の用途のため預かつて居つた同人の印形を冒捺し、以て同人名義の委任状一通を偽造した。」旨明記されて居り、即ち該委任状は右十二月十九日頃、田中トキ方に於て完成(偽造)されたことになる。併し斯る事実を確認するに足る可き証拠は終に之を発見し得ない。

却つて本件各証拠、就中、被告人の最終公判期日に於ける供述、同人の検察官に対する昭和三十八年十月二十五日付供述調書、証第二号委任状等に依れば、被告人が右委任状用紙に白地のまま中村直の印形を(同人の諾否の点は別として)押捺したのは右十二月十九日、田中トキ方であるけれども、(此の際の右捺印行為は木だ委任状の偽造とは云えない。)之に所要事項に中村直の氏名を記入したのは翌三十六年二月八日、場所は公証人鈴木渉の役場であつたことが推認せられる。従つて本件委任状が法律上、作成されたのは右後者の日、場所であると謂わねばならぬ。故に右委任状の作成行為の正否は総て此の時点を標準として之を判断すべきである。

而して本件証拠に依れば、右委任状には、其の真正を担保する為め中村直の印鑑証明(昭和三十五年十二月十九日付証明)が添付されてあるが、若し被告人に於て、其の云うが如く、予め中村直に対し、本件公正証書を作成するに必要ある旨を告げ、其の了解の下に同人の右印鑑証明を入手し、之を右委任状に添付したものならば、前記委任状の作成が仮令中村直の不知の間に為されたものとしても、最早同人は之を否認し得ないものと謂わねばならぬ。蓋し公正証書の作成には同人の委任状は勿論、其の印鑑証明の添付が必須なることを告げられ、之を了承の上、印鑑証明を被告人に任意交付して置き乍ら後日、委任状の正否のみを争うが如きことは到底許されないからである。即ち、委任状の作成が中村直の不知の間に為されたものと仮定するも、之に添付するための印鑑証明を交付することによつて同人は委任状の作成を当然に承認したものと云わねばならぬ。従つて本件に於ては右印鑑証明の授受が正当に為されたものである限り白地の委任状用紙に中村直の印形が予め押捺された日時、場所の点は勿論、其の際に於ける同人の諾否の点は左程重要視すべきではない。

依つて中村直と被告人との間に於て右印鑑証明の授受が果して正当に為されたものか否かの点を考察するに、本件証拠を綜合すれば、該印鑑証明は昭和三十五年十二月十九日、中村直が自身、日南市役所に於て下付を受けたもの四通の内の一通であることは洵に寸疑を容れる余地の無い程明白であるにも拘らず同人は、その際印鑑証明は二通受けたのみであつて而かも之れは何れも他に使用したので被告人には一通も交付したことはない旨主張するに対し、被告人は、其の頃、右の印鑑証明一通を、公正証書作成のためなる旨明言して中村直から任意に受取つた旨、公判に於て、主張し、其の真相は容易に之を捕捉し難いけれども、少くとも、本件に於ては、被告人が右印鑑証明を盗取或は詐取する等何等かの不正手段に依つて之を入手したと推定すべき証拠は発見し得ない。却つて中村直が昭和三十八年十二月五日、当公廷に於て「公正証書の作成されたことは二月十日すぎに知つたけれども其のこと自体については別に被告人を咎めず、其の後、被告人が公正証書に依つて工事金の差押はしない旨口約し乍ら之に違反して差押えをなしたので自分は立腹し、且つ自己の予期した以上の債務額が公正証書に記載されて居ることを知り、初めて被告人を告訴するに至つた。」旨証言して居ることより推測すれば、右印鑑証明授受の経緯は寧ろ被告人の前記主張するところが真相に近いものと思われるのである。次に

(ハ)  公正証書の内容の当否

に就いて審究するに、本件証拠に依れば、被告人は中村直に対し昭和三十四年一月二十六日から同三十六年一月十六日迄の間、前後九回に亘つて金員を貸付け其の合計は四十一万五千円に達するけれども、各口の弁済期はそれぞれ異つて居るにも拘らず公正証書には起訴状に謂うが如く金四十一万五千円を昭和三十五年十二月十九日に一度に貸付け、而かも其の弁済期日を同三十六年一月三十一日と約定したことになつて居り、内容的に事実と符合しないことは明かである。従つて縦令中村直に於て如上各貸借に関する公正証書の作成自体に同意し、之に必要なる同人の印鑑証明を被告人に交付したとしても、右公正証書は内容的に不実記載のものと云い得べき疑が存するのであるが、本件証拠に依れば、右公正証書作成当時に於て、被告人は中村直に対し、前記各貸付け元金に対する各月八歩の約定利息を加算し優に五十一万円以上の元利金債権を有して居つたことが推認されるから、被告人が公正証書の記載を簡略にし且つ債権関係を簡明ならしむるため利息を控除し且つ数口の貸金元金を一口に纒め、弁済期を一定して一度に貸与したものの如く記載したとしても、それが債務者中村直に実害を被らしめない限り(債務数額の点から云えば寧ろ中村直に有利であることは明かである。)直ちに之を以て真実に符合しないものとは謂い難く、殊に被告人は中村直に対する数口の貸金に関し公正証書を作る場合には之を適宜一個の準消費貸借に更改するも異議なき旨の記載ある承諾書(証第一二号)を予め中村直から徴して居ることが証拠に依り窺知される。(此の承諾書の成立の経緯に付いても争があり、多少の疑はあるけれども、少くとも被告人が之を偽造したと認むべき証拠は無い。)以上の点よりして被告人が本件公正証書に不実の記載を為さしめたとは解し難い。更に

(ニ)  被告人の警察員及び検察官に対する各自白調書の任意性

に就いて考察するに、既に縷説した如く、本件三個の各犯罪の成否は(委任状の作成行為の正否に関わらず)、一つに「中村直が本件公正証書の作成を承認した上、自己の印鑑証明(証第二号添付の)を被告人に交付したか否か」に繋るのであるが、此の最重要点に関して被告人は、司法警察員に対し、「中村直が貸金の返済をしないとき差押をするには同人の印鑑証明が入要だと思つたので、同人には其のことは言わないで、隠して、「先きで(後日の意)印鑑証明が要る様なことがあるかも判らぬから一枚貰つて置くと都合がよいが。」と云つたら同人は数日後、当時私が働いて居つた吉丸商事の事務所に日南市長発行の印鑑証明一通を持参し私に手渡した。」旨供述(昭三六・六・一九付調書)して居り又検察官に対しては、「中村直から預つて居つた印形を勝手に使つて偽りの委任状を作り、公証役場に差出して公正証書を作つて貰つた。」旨述べて、印鑑証明に就いては触れて居らない。(昭和三六・七・二七付調書)。

而して右二通の供述調書を其の儘通読すれば、他の証拠と相俟つて本件私文書偽造、行使、並に不実記載罪の各成立は一見、明瞭の如く思われるのであるが、尚深く右被告人の如上供述を考察審究すれば内容に甚しい不合理を含むことが理解され、到底其の儘採用し難いのである。

凡そ世上、金融業者が多額の金員を他に貸付ける場合、後日の紛争と裁判手続の煩雑を避ける等のため其の貸借に関し公正証書を作成するは寧ろ普通の慣行とも謂うべく、又凡そ借受人が債務を期限内に弁済すべきことは当然であり、若し之を怠れば強制執行を受くるに至るべきことも亦当然であるから、誠意ある借受人が公正証書の作成を不利と感じて之を恐れ嫌忌する理由はない。現に中村直も、昭和三十八年十二月五日の公判に於て「私は公証人から公正証書を作成した旨の通知を受けたけれども、被告から金借して居るのは事実だから致し方はないと思い、直ぐそのことに付いて文句は云わなかつた」旨証言して居るから、同人としても被告人との間の貸借に関して公正請書を作成するのは寧ろ当然として予期して居つたものと解すべく、又、之を意外に感ずべき理由もない筈である。殊に本件証拠に依れば、中村直は被告人から度々高額の金借を為し、其の弁済に関して自己の実印を被告人に預けたことすら一再に止まらなかつたことが認められ、特に昭和三十五年十二月十九日には更に金五万円を借り受けたのであるから其の際、被告人から公正証書の作成方を告げられたならば唯々として之を承引するのが当然であつて、之を拒否する理由は毫末もない筈である。(拒否されれば被告人も勿論其の時五万円を貸す筈はない。)

然るに被告人は、警察員に対し、「先で印鑑証明が要る様なことがあるかもわからぬからと云う理由で中村から印鑑証明を受け取つたが、之で公正証書を作ると云うことは隠して居つた。」旨供述して居る。

或る時は実印すら預け、又、先きで入要かもわからぬからと云われて直ぐに自己の印鑑証明を渡す程被告人を信頼して居つた(と思われる)中村直に対して、被告人は何が故に「公正証書の作成」と言う一事に就いては故らに「隠して居つた」旨供述したのか。又検察官に対しては、「中村直に公正証書の作成方を相談しても承諾がある訳がないので同人の委任状を偽造した。」旨供述して居る、(昭和三六・七・二七付調書)が何故に中村直が承諾すまいと考えたのか。被告人の供述は甚だ不可解と云わねばならぬ。此の点に関して被告人は、公判に於て「捜査官は自分の言い分を聴いて呉れず、却つて否認すれば勾留するかも知れない旨を仄めかす上、再三に亘る調べで自分も身心ともに疲れて居つたので終に投げやり的な気持になり、不利な供述をするに至つた。」旨弁解して居る。

惟うに、本件の如く犯罪の成否に法的要素を多分に含む事案に於て、十分な法的知識を持たない被告人が捜査官憲の取調を受くるに際し、往々にして自己の行為に就いての弁解を尽し得ない点があるべきことは想像するに難からず、又在宅のまま取調を受けたとは言え、強いて否認すれば何時留置されるかも知れない立場に在つた身としては終始危惧の念に駆られて居つたと思われるから遂に捜査官の言に迎合し如上の供述を為すに至つたと解するの外はない。

されば被告人の為した前記不利益の各供述は、何れも一言にして本件の成否を決する程重要なものであるけれども、内容的に既記の如く多分の不合理を含むのみならず、当時の被告人の心境を忖度すれば其の任意性に疑を持たざるを得ず、採用し難い。

以上説示の理由に依り本件公訴事実は、何れも其の犯罪の証明無きものと認め、刑事訴訟法第三三六条に則り被告人に対し無罪の言渡を為すべきである。

仍つて主文の通り判決する。

(裁判官 橋本清次)

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